日時:2010.6.16
場所:桑沢デザイン研究所 7階72教室
講義:日置徹 Toru Hioki
今回は80年代にミュージカル・雑誌のプロデューサーとして活躍し、
現在、BIGLOBEポータル事業部ゼネラルプロデューサーの日置徹さんが
ゲストでした。60~90年代の東京と、日置さんの仕事をさかのぼり、
「街という装置」について考え深める貴重な時間となりました。
*1960~90の東京
1960 東京オリンピックが終了(1964)した当時、東京の街はまだまだ
暗かった。新宿騒乱事件(1968)の学生運動が盛んな中、
雑誌「平凡パンチ」(1964)や GOGO喫茶等、軟派な文化も流通
し始める。
1970 景気がどんどん良くなり、ミドルや若者も街で遊ぶようになる。
街もお金を使わせる装置となり、明るい活気が生まれる。
31アイスクリーム(1974)の開店行列や、ハードロックカフェに
見られる「空気デザイン」が深い意味を持つ時代に。
1980 BRUTUS(1980)、INPRESSION(1988)、文化の違いを利用し
浪費生活に拍車。衣食住+遊ぶ(時間の浪費)に価値を与える。
もう暗い東京には戻れない時代。
1990 バブル崩壊 …等
*街について
・新宿について
・クロスエンカウンターと客の共有
・人々の思い、街の考え
*プロデューサーという仕事
・LAでミュージカルを見た時の感動
(素晴らしいスポーツ試合を見た様な感動を覚える)
・営業システムが確立していない中でプロデュースすること
・場を用意・スタッフィングを用意する立場について
*記録する事≠記録した事を意味化すること
・メディアと記録の関係
・ツイッターと紙情報の可能性
・雑誌とは何か
*他人に惚れられる人間がプロデューサーに、自分に惚れられる人間が
作家になるべき。作品はラブレターを書くつもりで作りなさい。
…等
↑ 話をだいぶはしょっています。(詳細は藤原に聞いてください。)
多重人格的でありで多面体な時代の素顔を、一個人としての日置さん・
プロデューサーとしての日置さん・住人としての日置さん等といった
複数の視点で講義してくださいました。
今回の日置さんの講義を基に「渋谷からはじまる/渋谷にあつまる」の
「渋谷=装置」と考えた場合、そのシステムを攻略しなくては、A18は
何事も始動できないのではないか不安になりました。少なくとも、
現在の渋谷の操縦方法(渋谷を調べ・理解すること)を知らなくては
ならないと感じます。溺れてしまいそうな情報を探し出すだけ1年間が
終わってしまいそう…え、それじゃぁもったいないですよね。
やっちゃいましょう。
A18が記録する渋谷とは、どのようなものになるのでしょうか。
また、渋谷がA18を記録するなんて事はありえるのでしょうか。
(私たちのプロジェクトを仮にAとし)Aにより大きな波紋を起こすには
「街に生きる人々の心情に作用し、
人々の欲に拍車をかける様なAを流し込む必要がある」
(=Aとはそのようなものである必要がある)のだと思いました。
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