2011年11月25日金曜日

遅くなってごめんなさい。
フィールドワークページ用の文章データをアップします。
推敲お願いします。


●フィールドワーク

私達はこれまでに二つのフィールドワークを行い、自分たちの目で見て渋谷を理解していくことを試みた。

フィールドワーク①
『渋谷の「好き」を集める。』
私たちはブレインストーミングを通じて「渋谷=若者が集まる街」という共通認識を導き出した。若者が集まるということは、若者が興味を持つ事柄が集まっているともいえる。興味とは関心を持つ感情であり、その中にはポジティブな感情もあればネガティブな感情もある。渋谷の場合、この感情を長い期間留めているという点から私たちは渋谷に集まる興味がポジティブな感情からくるものであると推測した。また、ポジティブな感情とは「楽しい」や「うれしい」という感情であり、これらは何かしらに好意を持った際に現れる感情であると考えた。
以上のことから、私たちは渋谷に現れる「好き」という感情をもとに起こる現象をヴィジュアルとして集めて考察し、そこから渋谷という街の特徴を探って理解を深めることにした。

(写真をお願いします)

フィールドワーク①の結果から、渋谷に現れる「好き」という感情の主語が様々存在することに気がついた。たとえば渋谷のランドマークである109の建物内の混雑にはギャル以外にも彼女たちに憧れる少女を連れた親子が多数存在し、109の熱気を強化していた。また、街中には地元住民が活動する渋谷の緑化計画やポイ捨て防止看板がある一方で、渋谷を縄張りとする若者の自己表現も存在していた。これらは、それぞれの立場から渋谷を「好き」になり、それが違った現象として街に表出しているということである。私たちは様々な形の「好き」を発見したことから、この形の違う「好き」が混在しているからこそ渋谷は混沌とした言葉に代え難い魅力を持つのではないかと考えた。

フィールドワーク②
『渋谷の実態を調査する』
フィールドワーク①を開始する前には渋谷に集まる若者とはギャル・ギャル男であろうと想像していた。メンバー全員がこの共通認識を抵抗なく持つことができたことにもあらわれるように、世の中が持つ渋谷にいる若者のイメージはギャル・ギャル男なのではないだろうか。しかし、フィールドワーク①では、渋谷にはギャル・ギャル男よりもそれ以外のジャンルに属する若者に多く遭遇した。
このことから私たちは、渋谷にいる若者たちにスポットを当てて再度フィールドワークを行い、渋谷にいる人々の情報を整理することで渋谷の実態を明らかにしようと考えた。

(写真をお願いします)

フィールドワーク②の結果から、渋谷にはギャル・ギャル男以外の若者が多数を占めることが分かった。昼間の渋谷駅前スクランブル交差点を観察したところ、ギャル・ギャル男よりもカジュアル系のファッションをした若者が多数を占めていた。彼らは同性同士3~4人のグループを組んでいることが多く、男女を混合したグループはあまり見られなかった。また観光客としてカメラを構える国内外の人々や、サラリーマンも目立った。夜になると観光客やサラリーマンの数は減るものの、やはりカジュアル系のファッションをした若者が目立ち、ギャル・ギャル男と呼べる若者たちはほんの少数であった。なによりも渋谷のイメージとして持っていた若者がたむろする姿は見られなかった。また、ナンパに精を出す若者も見受けられなかった。
このことから私たちが持っていた渋谷のイメージは現実の渋谷とずれ始めていることが分かった。では、私たちが持っていた渋谷のイメージはいったいどこから来たのだろうか。
私たちはフィールドワーク①・②をふまえて渋谷のイメージと実態について再度ブレインストーミングを行った。その結果、私たちが持ち続けてきたイメージと直結するアイコンとして雑誌「egg」と雑誌「men’s egg」にたどり着いた。二つの雑誌が持つ若者像こそ私たちが持っていた渋谷のイメージそのものである。また、それとは反対に渋谷にいる若者の多数を占めるファッションに属する雑誌として雑誌「mini」や雑誌「smart」に着目した。そして私たちはこれらの雑誌を研究し、理解することで渋谷という街のもつ虚像と実像に迫っていこうと考えた。

鎌田

2011年11月18日金曜日

渋プロのロゴマーク、第二弾!



みなさん、こんにちは!Beeです。

みなさんからいろんな意見をいただき、ありがとうございました!

みなさんの意見を参考した上で、そして僕自分の考えを加え、
前の案の修正を含めた、新たな3案を仕上げました。

左上のは、「渋」の漢字のままで、ストレートで「渋谷プロジェクト」を表現しました。
この前、武藤さんから聞いたんですけど、みなさんが渋谷に対する印象はそんなに鮮やかではないと。そこで、渋という漢字にちょっと濃いめな緑を使い、「Project」の英文字には明るいピンクを使いました。その対比を表したくてから。

右上の案は、前の案の修正案です。さん水辺をもっとはっきり見えるようにしました。そして、「渋」という漢字、もっと分かりやすくもらえるため、下の「ロ」文字はちょっと描き直しました。

下の案は本プロジェクトのスローガン(?)「渋谷から始まり、渋谷にあつまる」、渋谷は発信源でありながら、中心地でもありというコンセプトに基づいたもので、ルートマップみたいな形で表現しました。

以上三つの案を出しましたが、よろしくお願いします!

2011年11月15日火曜日

渋プロのロゴマーク


みなさん!こんにちは!
ビーです!

今、渋プロの冊子の作成は進んでいます。
そのため、僕は「渋プロ」に一つのロゴを作りました。
ロゴマークがあると、たぶん他の人に私たちがやっていることをより速く分かってもらえるではないかと思って、勝手に作りました。

一応、みなさんに先にお見せします。

このマークは「渋プロ」という企画名から、転化されたもので、渋谷というところの元気さを出すため、鮮やかな色で仕上げられました。

もし、このマークについて、「こうしたほうがいいじゃない?」「ここがよくないね!」といった意見があったら、遠慮なく言って下さい!みなさんのご意見が欲しいです!
よろしくお願いします!


2011年11月10日木曜日

どうでしょう

記者の心得は、人にとっての心得

時事通信社経済部 記者 豊田百合枝氏 2011.05.23


雑誌出版社への取材をするにあたり、時事通信社経済部の記者、豊田百合枝氏から取材のコツや注意点をうかがった。そもそも通信社とは何かという話から、記者の仕事内容、心構えなど、実体験を交えた記者としての“生き方”のおはなし。記者の生きるスタンスは、あらゆるものごとを考える上でのベースになる、とても大切な考え方であった。




報道のハブ役をする通信社―


取材したニュースを記事にし、新聞社やテレビ局、金融機関や官公庁などに配信する会社、それが通信社だ。現在、日本では共同通信と時事通信の2社が通信社と呼ばれているが、戦前は電通を加えた3社であった。もともと、電通と時事通信は同盟通信社であったが、終戦後にそれをよしとしないマッカーサーに解体される前に、自ら分離した。

また、海外にあるAP通信やロイター通信などとも提携している。世界各地で数秒単位で起こっているニュースを日本に知らせ、逆に日本でのニュースを世界に向けて配信するのも、通信社の仕事のひとつである。



記者の日常―


事件が起きたときに記者がまずすること、それは〈連想ゲーム〉だ。「その事件が記者としての自分の担当分野に及ぼす影響を想像し、取材先のあたりをつける。つまり、自分との関係性を考えます」と豊田氏はいう。あるひとつの出来事が、これからの自分たちの生活にどんな影響を与え、どのように変わってゆくのか。未来を読み、その過程を予測する。

そしていよいよ取材活動である。現場に向かう、会見に行く、ぶら下がり(大物にくっついていくこと)、個人のインタビュー、潜行取材など、取材方法は状況によってさまざま。その後、資料探しや追加の問い合わせ、有識者から意見をもらうなどの追加取材をおこなった上で、集めたすべての情報をもとに記事を書く。

書き上がった記事はデスクと呼ばれる管理職が目をとおし、ここで記事文章がほぼ完成する。最後に整理部という部門で誤字などのチェックを通過したのち、やっと配信がされる。それが全国の地方紙やインターネット、金融機関や官公庁といった特約先に伝わり、私たちの手元に届くのである。

ちなみに、記者には基本的には“オフ”の感覚はない。災害、事故、殺人、テロなど、世界ではいつどんな事件が起こるかわからない。そのため「世の中の出来事の周期を季節や時期などから見極め、記者自身が休日を決める」のである。



相手の立場にたつことの難しさ―


記者という仕事をする中で得た教訓を、豊田氏自身の失敗談からうかがった。「ひとつは、宮城県であった、旧石器時代の発掘を何年も捏造していた事件です。結果的には、歴史の教科書を書き換えるような大事件となってしまいました。これはなぜ防げなかったかというと、記事を書いた記者と、考古学協会とのそれぞれに問題があったからです」。旧石器捏造事件とは、ある考古学者が発掘していた日本の歴史的な遺物・遺跡が、すべて捏造であったという事件である。

まず記者側の問題としては、とにかく新しい発見であったためにその真偽を確かめる手段がなかったこと。また、他社の記者がこぞって記事にしている内容を、自分だけ書かないわけにはいかなかったことが、報道をより加速させた。さらに考古学協会側は、学閥が激しく、ほかの派閥が発見した内容との検証を互いに実施してこなかったことが主な原因である。「このような誤報を防ぐためにも、複数名に確認をとるクロスチェックを絶対に怠らないこと。また自分が少しでも怪しいと思ったら納得できるような確認をとることが必要です」と豊田氏。

もうひとつは言葉の問題である。ユニバーサルデザインの記事を書いた際に「障害を持つ子ども」という記述に対して、取材先に「子どもたちは持ちたくて障害を持っているわけではない。『障害のある子ども』と記述してほしい」との指摘があった。「ちょっとした言葉の違いでも、相手を傷つける場合がある。言葉を選ぶ際には慎重にならなければいけないのと同時に、相手の立場になって考えることの難しさを痛感した」。

似た意味を持つ日本語を使っても、それぞれでニュアンスは微妙に異なる。現場で話を聞く以上に、記事を書くときにも相当な神経を使うのである。



自分なりの考えも提供する―


豊田氏は「取材をする際、取材先は多くの場合何も語ってくれない。また、真実を知られたくない、メディアを利用したいという理由から、偽りの情報を与えてくる者もいる」という。うそを見破るためには、自分でその分野を勉強し、知識を持って取材に挑まないといけない。また、うそをつかれないためには、取材する相手と長く付き合うこと、相手に信頼されることが重要である。そのため一番大切にしなければいけないのは、相手の立場を十分に理解するということである。

「業界の知識をしっかりと持たなければ重要な情報を得ることはできない。また、相手の考えを単に受け入れるだけではなく、自分なりの考えを提供することも必要」と語る。「真摯な批判を加えることで、相手にとっても有益な存在となり、確実な情報を流してもらうことができる」のである。

“相手に合わせる”ことは決して良いことではない。相手のことを真に思い、正面から向き合う。記者にとって大切な心構えは、すべての人にとって大切な考え方、そのものなのかもしれない。

2011年11月7日月曜日

ページ担当確認

目次
渡辺氏 P9スガ
日置氏 P13カエ
豊田氏 P17クロ
参考文献 P21 ―
雑誌調査報告 P25ゴリ・クロ・ユアサ
雑誌調査結果のグラフ P41ゴリ(B脳・ムトウ脳)
雑誌編集者インタビュー P*エノヤック
大洋図書 P47―(カナツ脳)
宝島社 P48―(web)
フィールドワーク報告 P49カナツ
個人企画書 P50カナツ
年表 P*アスミン

2011年11月4日金曜日

雑誌「egg」取材メモ

雑誌「egg」「Men’s egg」出版社 大洋図書
取材レポート

「Men’s egg」編集長 東宮さんへの取材。「egg」編集 近藤さんも同席。

かつて東宮さんが登場していた雑誌「egg」(以下eggとする誌面をみつけたことから、東宮さんにモデルとしての当時を振り返ってもらう。
 → モデルとして誌面に出たのではなく、24歳の時にスタッフとして参加しただけ。当時はモデルでなくても上司命令で誌面に出ることもあった。スタッフも参加して誌面を作っていくという姿勢があった。90年代後半まで大きく当たる企画が出ずにくすぶっていた会社の状況の中でeggの企画が生まれた。東宮さんが誌面に登場していた時期はギャル文化が社会現象になる入口の時であり、自分たちが作り上げているeggが流行の流れをいっていることを感じながらその勢いを楽しんで誌面を作っていたことがスタッフの誌面登場という会社の編集意図と繋がっている。

egg発行当時の渋谷について。また、現状の渋谷との比較・分析。
 → 子供に対しても規制が緩かった。当時はそんな子供たちと一緒に遊んだりもすることができ、彼らに飛び込んで教理を詰めていくことができていた。しかし今では規制が厳しくなった。これが渋谷をアンダーグラウンド化させた原因である。

現在の誌面にスタッフが登場しないことについて
 → 現在はスタッフが参加したがらないこともあるが、大人と子供の世界が解離してしまっているから。かつては40代30代10代が一緒に遊ぶのもありだったが、今は犯罪のように見えてしまう。実際、(eggを作っている自分でさえ)自分の子供がそういった人々と遊んでいたらいやだと思ってしまう。そういう社会になってしまった。

ギャルは東宮さんからみて子供か?また、eggの中での大人は?
 → 子供である。考えとしては18歳以下がギャル、それ以上はnotギャルである。それは色々な事(仕事・生活など)を考えなければならなくなったらギャルではないと考えるから。ギャルとは大人や社会に抗ってナンボの存在。それでも自身を貫くものである。しかし、これを妥協し始めると「大人」になる。

現在のギャルは?
 → 大人が作ったステレオタイプの押しつけになってきている「職業ギャル」が存在するのも事実。だからこそ大人のいうことを聞くギャルがいるのも事実。

「egg」の由来
 → 「アイドルの卵」という意味。eggはここにフューチャリングした雑誌。ストリートにいる原石を拾ったら反響が大きかったという経緯があり、これに沿って今がある。当時はタレント<一般モデルが求められていた。彼女たちは大人や会社とのしがらみがないから何でも言ってくれる。そんな全てを話してくれる真新しさが当時のeggにあった。

創刊のきっかけ・仕掛け人について
 → 仕掛け人は中川さん(現在は退社されている)で当時37歳くらい。元来ヒットメーカーであったが、egg発売前は現状落ち込み気味だった中でeggによって立ちなおした人。久々のヒット企画であったため中川さんをはじめ社内が熱を帯びていた。これが東宮さん等の誌面登場に繋がっている。
   ちなみに東宮さんはeggが月刊化した時(95年春)に途中入社。誌面はスタッフ全員のポテンシャルで作っていた。

ギャルにこだわる理由
 → eggのブランドイメージだから。本来は「マンバ」から自然発生したもので、当時のクラブ「パイロン」で目立っていた人々をフューチャーした。これがブリテリやゴングロ3兄弟。(ちなみにこのネーミングは、ブリのようにテリッとしている→ブリテリ・だんご3兄弟が流行っていた→ゴングロ3兄弟となった。3兄弟の中の一人は現在大洋図書のライターになっている。) もともと「パイロン」はオーナー?であるフィリップ氏のキャラクター性が業界人に受けて注目されていたという背景がある。したがって「パイロン」は業界人とギャルの二重構造になっていた。

雑誌の中の音楽特集でトランスが多い理由
 → トランスがかかっているところにギャルがいるから。トランス=ギャル・ギャル男というイメージを作りたいという恣意性はなく、トランスのかかっているハコには彼女らがいるという利便性から。

雑誌としてのegg
 → 他の雑誌と変わらず、eggも読者あってのもの。期待しているものを100%に近づけていくもの。しかし、何カ月も先のトレンドを追うようなモード誌ではない。Eggの特集は「半歩先」ストリートで盛り上がりつつあるものをegg風に味付けして読者に届ける。

東宮さんにとってギャルはカワイイ?ギャルの魅力とは。
 → カワイイ!ギャルは女ってところを全面に出しているファッション。ゴチャゴチャしているのに絶妙なバランス、これが魅力。最近のギャルが洗練されているように見えるのは彼女たちがファッションなどの良し悪しを判断できるようになったから。誌面上のギャルたちがそう見えるのは、世間のニーズが多様化してきていることでゴチャゴチャとスッキリの中間をとっているから。
   若者は目立ちたいという欲求を誰もが持っている。そのなかでeggを選択する子たちは特殊。家庭が複雑な子が多いのも事実。(片親・DVなど)
   また、ギャルは得だと思う。ギャルは少しでもいい事をするとギャップですごくいいことをしたように見える。足し算される。
   最近のギャルは怖さが減った。かつてのギャルは不良だったけど、今は少しとんがりたい気持ちもあるものの不良とまではいかない。

ギャルが持たれている偏見(不良など)について編集者としてどう考えるか
 → あまり関係ない。もちろん偏見はある。ギャル=バカとしたいマスコミの扱いもある。しかし、ここで自分たちが「ギャルはバカだ!」と突き放したらeggは終わり。マスコミなどの多くはこの子たちのプロセスや本質を知らない。だとしたら理解者(自分たち)がいてもいいのではないが。ただ、今の渋谷にギャル=バカという認識を張り倒す力は今ない。

渋谷のイメージについて。かつての「サーフ」のイメージは薄いのはなぜか。
 → かつての「サーフ」イメージは一種のムーブメント。流行や季節、ブランドこれらがカチッとハマるとムーブメントが起きる。その理由の説明は難しい。しかし、ギャルとサーフシーンはハマると思う。
   ギャルの元祖は70年代サーファーにくっついてた女の子達。聖子ちゃんカットのギャルたちと陸サーファーたち。

Men’s eggが他雑誌と比べて軟派な内容が多いことについて
 → 雑誌のイメージを裏切らないため。また、これがアイデンティティでもある。これらの記事は100%リアルではないけれどリアルの部分も多いにある。Men’s eggでは軟派を言いきっていくようにしている。「ホットドック」に対して深く狭く毒を持っていくことがスタンス。

雑誌のスタンスについて
 → そこでしかできない芸当は必ずある。他の雑誌を取り込んでいったら本来のものではなくなってしまう。もちろん、売れなければ心が揺れるけど真っ直ぐの軸は見失わない。揺れるけど、他雑誌はたくさんあるし、揺れ幅は大きいとだめだけど。それでも揺れても見失わない。

Men’s egg・eggの分かれ道は?
 → 当時のギャルの彼氏として登場。これで一冊作ってみようという考えから生まれた。現在のオラオラ系の「ソールジャパン」に所属している人と作った。

ギャル男の定義
 → 髪型にこだわる・眉毛をそる。ヤンキーと近い。これらは渋谷ならではの土着文化。Men’s eggに何回か出た人で人気が出て流行っていった。モデルでいうなら梅しゃんやいりやすし。JOYはかっこよすぎて雑誌としては大人気ではなかった。それは服を真似してもJOYにはなれないから。

ギャル男の髪型は芸術か否か
 → 芸術ではないのでは…。芸術はヒストリーも大切。この髪型にヒストリーはなく、一時的なもので病気や流行と一緒。

現在のギャル・ギャル男
 → 昔より年齢が上がってきている。これは先に紹介した職業ギャル・ギャル男がいるから。例えば田中大地くん。ファッションデザインの仕事をしていたりする職業ギャル男。別に好き勝手にやってるわけではない(生活がある)というところが違い。

ギャルのコスプレは認めるか
 → ギャルの基準をどこに持つかで決まるのかもしれない。でも、ギャルじゃなくてもeggを好きになってくれれば編集的にはOK。
   そもそもeggは青春を謳歌している若者を追った雑誌で無理やり流行を作ろうとしたわけではない。当時は(eggのヒットをきっかけに)ブームにしようと頑張っていたが、現在ではギャルが当たり前になった。めずらしさも渋谷限定でもなくなった。ギャルファッションは近所のイオンでも買えるし、どこでもできる。

電子書籍化について
 → あまり考えていない。紙雑誌の魅力もあると考えるから。それは並べる喜びであったり、パラッとめくる手軽さであったり、自分の見方ができることであったり。ぱっと見たバランス感覚や目に飛び込んでくるものはスマホやタブレットサイズでは無理。紙媒体にこだわりたいし、ページとスクロールの感覚の違いもある。しかも、意外とeggの読者ターゲットである中高生はまだガラゲー(スマホでない携帯)を使っている。

「女子カメ」現代版はやらないのか。
→ ラストのポラロイドは手書きでやっていきたい。撮ってマジマジとみる感覚はデジタルにはない良さがある。

雑誌から出た流行語は?
 → 「イケメン」=eggの「今月のイケてるメンズ」というコーナー名から出てきた言葉。あとは「秋葉系」も。「今月のイケてるメンズ」は10年以上前の企画。

少し短縮する言語について
 → eggが特別というよりも業界全体がそうだったから、その影響の可能性も。

ギャルポーズに匹敵するものはあるか
→ 本人にお任せしている。撮られ慣れている子が多いからそれで大丈夫。昔はそうではなく、こちら側の指示がないとポーズがとれない子(地方スナップを取りに赴いた大宮にて)もいた。でも、今の子の方が言うことを聞く。聞いちゃうから大人と子供の関係性がはっきりしていく。昔は言うことを聞かない子が多かった。個性が強かった。こういう子に言うことを聞いてもらっていることも信頼として感じる。

eggの考える個性とは
 → egg個性を拾ってきたらその集合体になった。個性がよくわからなくなる。

モデルの起用基準
 → バラバラ。紹介時もあるし、モデルのつきそいもあるし、スナップを取っている時に声をかけるときもある。来てね、と言ってきてくれることが最低条件。また、気をつけるのは自分撮りの持ち込み。盛られすぎていて実際に会うと本人か!?と思うこともある。これは男女共通。
   かつてよりこだわりの強い子が増えた。もる・もらないへのこだわり。掲載写真を選ぶ側も悩む。もれてないので取り直してくれという子もいる。昔は結果オーライだったのに。だから今はラッシュは見せない。締め切り間近で文句を言われてももう時間が…となだめる。
   昔は、カメラの前で緊張する彼女たちの本来の姿を引き出してあげるように撮っていたが、現在はギャルとしてのスタイルが自分の中にある場合が多い。その分、しっかりつくれているギャルほど雑誌に合わせてきている。楽は楽だけど、本来のギャルは人のことを考えてないだろう感があってそれが出たとこオーライだった。

渋谷系雑誌と名乗っている理由
 → 渋谷が一番とは思っていない。分かりやすさのキーワードが渋谷であったり、立ち位置を示しやすいという便宜上の理由から。

渋谷の変化を感じることはどんなことか
 → 若い人がいない。17~18歳。溜まり場がないからかも。センター街がバスケットボール通りになったり、深夜など街の規制がきつくなったり…そういった若者の活動が出来ない街になった。eggは規制している側の敵になる。例えば、東宮さん自身、地元駅が若者の溜まり場になっていると嫌だけど、渋谷だから許されるということもある。カルチャーを作るには渋谷が必要な場所になっている。
また、渋谷には風俗がない。(表立っては) 東京は今浄化されていて、その対象にギャルが入っていることが悲しい。ギャルは目立つし、大人や法律が強くなって若者が委縮してしまっている。


雑誌として渋谷に貢献できることはなにか
 → 渋谷に居続けること。ギャルの子がやるゴミ拾いとかはしたくない。これはギャルがやるからよいのであって、彼女たちが道具になってしまっている。

雑誌へのこだわり
 → 渋谷にいる女の子達を取っていることにこだわりたい。

若者に言いたいことは?
→ 「楽しく好きにやれば?」街は規制してくるけど…

モデルの出身は東京が多いのか
 → モデルはドーナツ化現象になっていて23区外からきている。今一番遠いのは長野のサカモトレミさん。でも彼女も彼氏が東京にいるので、そういった場合が多い。
   地元に居場所のない子もいる。発行当時は渋谷に合わせれば受け入れてもらえるという子も。今は大人と法律によってつぶされているけれど。だから今は渋谷に来た自己満足感やステージに上がった感覚はないのかもしれない。

ニーズに合わせて記事を作るのか、ニーズ自体を開拓するために記事を作るのか
 → ニーズに合わせた結果が今の雑誌である。

おバカページに込めるメッセージとは
 → 「たのしけりゃいいじゃん。」笑える雑誌がないし、くすりと笑えるものを持っていたい。この一冊で楽しんでくださいという気持ち。この気持ちが渋谷とリンクする理由かもしれない。

ファッションページが多くなったことについて
 → 今は必要なもの。ギャルが一般化しているからこそファッションが入口になる。こういう意味ではファッション誌。今渋谷がカラーを失っているからそれがスマートにあってしまう。ただ、eggは「見る雑誌」ではなく「読む雑誌」なのでそこは違う。

一冊作るのに何回会議が行われているか
 → 会議というより企画提出。それを編集長がセレクトして各ページを各自詰めて行くという進行。一冊は約一カ月で作る。締め切りギリギリ。

モデルに対して気をつけていること
 → 男子:気を使うけどそこまでではない。ただ、髪型だけは触ると怒る。彼らは髪型命。大変な時間をかけてセットしているので頭をなでたりすると怒る→泣く…かも。
   女子:フォローとケアをしている。

現在の草食男子たちについて
→ 昔は男の満足ポイントはマッチョイズムだったが今は欲求が内に内に向かっている。だから草食系が増えている。それは肉食に行くとお金がかかるし、ワーキングプワーの問題もある。これは軟派を代表するMen’s eggでも感じる。
   現在の子たちは男女問わず対人スキル的には器用。無駄な努力はしたくな
自己アピールが少ない…。指示待ちの人が多い。
 大人に拾われるのが今の若者であるのに対して、昔は若者が作ったムーブに
大人がついていくという流れだった。
 また、恥をかきたくない・間違えたくないという考えも大きい。一時の恥を
取れない子が多い。だからこそ、マニュアルじゃない子に会うと感動する。

今後Men’s egg・eggで変えていくところはあるか
 → 変える必要もない。淡々とやっていくだけ。映画やニコナマもやったがあれは大洋図書主体のものではない。雑誌に力を入れているので、それ以外で事足りてしまうと雑誌が意味を持たなくなってしまう。現代と前時代メディアのジレンマでもある。

今力を持っている都市は?
 → 名古屋。安定してミーハーだから。お兄系の発祥は名古屋。(これもお姉系の彼氏として注目されたもの) 今は分かれるMen’s eggのギャル男とオラオラ系だが、元は同じ分類。それが農耕民族(Men’s egg)と狩猟民族(オラオラ系)に分かれただけ。

海外にeggをもっていきたいか
 → 渋谷に土着しているものなので切り離してまで大きくしたいとは思わない。体制側が大きくなるとegg特有の「放課後感覚」がなくなってしまう。これがMen’s egg ・eggのよさであって、他にはまねできない部分だから大切にしたい。

ギャルの著作権は取らないのか
 → あるにはあるけど、ファッションとかは生き方だからあまりそこにこだわるつもりはない。

誌面上に出るコピーなどは誰が考えるのか
 → 企画の担当者やライターが書く場合もあれば、編集長が始めから決めている場合もある。ゴロは重視している。ちなみにメンズナックルのコピーは全て一人のライターさんが考えている。あの独自性はやられた感がある。

独特のバランスを持つeggの誌面デザインだが、なにか法則や型があるのか
 → 編集担当が変わっても変化が現れないように、これを覚えていくことでeggは崩れずにいられるというものはある。中途採用などで入った人にはまずこれを覚えてもらうことが最低限。そもそもeggに希望してくる人はeggが好きなので読みこんでいる場合も多い。